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- お多賀さんとは
(いざなぎのおおかみ)
(いざなみのおおかみ)
古くから「お多賀さん」の名で親しまれる滋賀県第一の大社です。
日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
春のしだれ桜、秋の奥書院の紅葉なども見事で、近辺には彦根城や湖東三山、琵琶湖などの名所にも恵まれ、年間約170万人の参拝者を迎えています。
三本杉
当社の東、約6キロの地に杉坂峠の三本杉がある。この三本杉は当社のご神木です。
神代の昔、国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神は高天の原からこの峠に天降られ、休息をなさった時に、土地の老人が粟の飯を献上した。大神はご機嫌麗しくお召し上がりになり、食後その杉箸を地面に刺したところ、その杉箸が根付き今見るような大木になったといわれています。
元正天皇(げんしょうてんのう)
元正天皇の病気に際し、当社の神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上、天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木で、杓子は「お多賀杓子」として有名です。
俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)
平安の昔、東大寺の再建を命ぜられた俊乗坊重源は当社に参詣、二十年の寿命を授かりました。寿命石はその由緒を伝える石として延命を祈る人が耐えません。
奥書院庭園
天正十六年、太閤秀吉は米一万石を事納し、母大政所の病気平癒を祈りました。太閤橋や奥書院庭園は、その奉納によって築造されたと伝えています。